キャスト前に必ず泳ぐクセがある。 お邪魔虫のゲン太君。 |
一番出掛けたのが福島県の南西部に位置する南会津の伊南川だ。 |
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「初めての釣行日記」
幼年期。
◆1990年7月、我が家にやって来たゲン太君。その頃の私は、郡山市でルアー&フライの釣具店を開業していた。犬小屋を一日がかりで作ったが、夜通し泣き喚くのでとうとう家の中で飼う事にした。
面倒は自分が見るとの事で、その日から寝起きを共にするようになってしまった。朝食後、向い側のお店に出勤。PM8:00過ぎ閉店して帰宅する毎日が10年近く続きました。
体も大きくなった10ヶ月目の春、初めての田子倉湖釣行に連れて行った。釣り場は約2時間30分ほどの距離にあるのだが、乗ってから30分程で車酔いが始まる。ゲン太君の居場所は、後ろのイスを起こして衣装ケースを設置。泥だらけになっても何とか帰宅できるのだが、乗って直ぐにゲロを吐くので大変だった。
「大好きな田子倉湖」
<小年期。>
◆釣行日は、お店が休みの月曜日。閉店後から準備をして、夕食後の9時過ぎには出発する。普段は二人で出掛けるのだが、ベストシーズンにはお客さんも同行する。
狩猟犬でもあるセッター種のゲン太君は、人懐っこくみんなの人気者になっていた。駆け回るのが大好きで、泳ぎも得意だ。でも、最初の頃は水に入るのが怖くて震えていた。岩場でもヒンヒン鼻を鳴らしていた。とにかく優しかったですね。
いつだったか、ゲン太を岸に残して向かい側にボートで渡った時、湖に飛び込んで追いかけて来ましたからね。対岸までは3kmも有るんですよ。田子倉湖のベストストシーズンは、4月1日の解禁から6月中旬までヒットが望めます。私は、5月半ばの新緑期までキャスティングで出掛けるい事が多いです。
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「伊南川が大好き!」
<青年期。>
◆ゲン太君は、とにかく伊南川が好きだった。その理由は、水鳥が多かった事と犬の大敵ダニがいなかったからだ。他所の渓流に連れ行こうものなら、あっという間に数十匹たかられてしまう。
一番凄かったのは、栃木県の中禅寺湖に連れていった時だった。注意はしていたが、目を離した好きに笹薮に立ちこんでしまった。
何と、ゲン太の背中には二_程の赤ダニがウヨウヨ。幾ら取り除いても次から次に現れる。
サービスエリア毎に停車してダニ捕りだった。是を見逃したら、一週間もたたない内に小豆大に血を吸って成長するのだ!
しかし、不思議な事に伊南川の周辺では一度も確認していないのです。
「ゲン太と一番のツーショット」
「絶頂期」
◆一番思い出に残るのが、この写真です。92年の7月だったと思いますが、丁度「スーパーヤマメの世界」ビデオを撮影していた頃です。
ゲン太君も撮影に参加しました。ところが、いつものお邪魔虫に悩まされて、此処一番のキャステングスポットでは待機を命じられました。そんな時に限って、ヒットしないんですよね。
釣行はいつも車中泊となるので、シュラフで一緒に寝るんだけど、朝早くからションベンだと騒ぐので一人で外に出します。是が災いしてトンでもない事件を引き起こします。
ある時は、牛のクソだらけ!又ある時は、泥だらけで車中に乗り込みブルブルしやがる!車の中は、肥溜めみたいだった!其れでも可愛いんだよね。取り扱う商品が横文字なんで、ゲン太君とわざわざ和名を付けたんです。
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何故か寂しげなゲン太君。何もしてやれなかったのが残念です。 |
2002年2月10日。日増しに弱ってきたゲン太君。
もう食事も受け付けなくなっていた。この5日後に息を引き取りました。 |
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「晩年期を迎えたゲン太君」
「最後の釣行日記」
2001年の初め頃から、少しづつ太り気味になってきた。動きも鈍くなってきたが、歳のせいかと時折掛かり付けの獣医に見せるだけだった。
この夏、久し振りに伊南川に釣行した。元気だった頃は、前の日の準備段階から行きたい素振りを示していたのに、この頃には行きたくない様子が感じられた。
既に、段差が70cm程の車の席に飛び乗る事が難しくなっていた。其れでも、釣り場について2,3時間ほど走り回っていたが、気が付けば私に寄り添っていた。
私も、取材用の写真が巧く撮れたので半日で終了。記念にゲン太とセルフタイマーで写真を撮った。今になってみると、本当に疲れたって感じだ。そして、是が最後の釣行になってしまいました。
「病床。」
◆10月。ゲン太と共に11年を過ごしてきたが、私も4年前にお店から退き山小屋でFFフィールドの管理等で過ごす事が多くなった。商売は息子が変わったが、ゲン太は相変わらずお店に出勤していた。
症状はいろいろ出ていたのだが、未だ数年は生きてくれるだろうと思っていた。この夏。もし、ゲン太が死んだら!と思い、そのショックを和らげる意味もあり、同じ種類の子犬を貰ってきていた。この写真は、ゴールドクリークに病院帰りに立ち寄った時の物です。
そして、2002年2月15日。
とうとう帰らぬゲン太君になってしまった。私も、最後の数年は不景気も重なり中々面倒を見てやれなかったのが。残念で残念で悔いが残りました。
お墓は、ゲン太が育った実家の庭に作ってあげました。もちろん、私とのツーショット写真と一緒です。私も、やりたい事は全て遣り尽したし今更生きていてもしょうがないのだけれど、莫大な借金があるのでゲン太を先にやりもう少しだけ生きてみますよ! |