「想いでのゲン太君」    FISHING LIFE
1991年春 ◆イングリッシュセッターのゲン太君は、1990年秋から2002年2月15日まで連れ添った愛犬です。幼い頃から、ベットで寝起きして仕事中も一緒。苦楽を共にしながらも、休日はいつも釣りに同行していました。
2002年2月15日。看病の甲斐も無く、とうとう天国に旅立ってしまいましたが、いつまでも忘れることができません。<ゲン太と同じ。トライカラーのセッター仔犬を探しています。お心当たりの方がいましたら、連絡お願い致します。>

■1990年 「秋」
私の兄貴は、狩猟を趣味としていたので、昔から猟犬を飼っていた。そんな中、私の商売は釣りだったので、野外に連れて行く犬種としても最適だった。丁度そんな時、兄貴が一匹のセッターを持ってきた。
■1970年代。
スポーツフィッシングが流行して、都内のデパートにもルアー&フライショップが出現。開店当時は、普通の釣具店だったが、直ぐにトラウトショップに転換。この頃から、アラスカ等に旅行していた関係で、私のところに取材依頼が来るようになった。

向うでは、犬を連れて釣りに行くのが当たり前の光景だったんです。
そんな訳で、我が家にゲン太君がやってきました。その名前の由来は、横文字の商品と解説ばかりだったので、一番日本的な和名にしたんですよ!
1990年秋のゲン太。
「ゲン太君と釣行」
毎週のように釣りに出掛けた。山岳の湖から激流の本流。ゲン太は、何処にでも着いて来る。
しかし、ダニの出る所には連れて行けない。ダニに喰いつかれると、大変だった。
1993年頃のゲン太君。
■1991年 「春」
朝一緒に起きて、朝食後AM:9:00にお店に移動。家に帰る午後8時までは、店の中で遊んでいる。お店の中で育ったゲン太君。7ヶ月目の春。初めて、残雪の山上湖に釣行。福島県只見町、田子倉湖に連れて行きました。
■巨大なダム湖を前にして、余程怖かったのか男の子のクセに震えてました。半日も過ぎる頃、ようやく慣れて動き回るようになりましたが、水に入るのが苦手なようだった。
因みに、ゲン太君の血筋は鳥専門の狩猟犬なんだ。
初めての田子倉湖。
■ゲン太君は、釣行する度にたくましくなってきた。
しかし、最初の3年間ぐらいは車酔いが難敵でした。ゲン太君の席は、後部座席を上げてプラスチックの化粧箱の中です。
この中に入れて置くのですが、家から、30分ぐらい走ったあたりから涎が滝のように流れ始め、次には嘔吐。それはもう、毎回大変な夜のドライブでした。

■ヨダレ掛けをしたり、タオルを巻いたりしていましたが、あるときの嘔吐では何と私の靴下が出てきた。この頃まで、何でも喰っちまうんですよ。
初めての田子倉湖。
◇一番釣行した田子倉湖
92年5月のゲン太君。■1992年5月。
初めての、TVロケに同行。
もっとも、野山を駆け巡りロケどころではありませんでしたけど。
■私は、外国で良く見るフィッシャーマンのように、愛犬を連れたこんな絵が欲しかったんです。でも、この時はダニにたかられて大変なことに。帰ってから一週間ぐらいはダニ探索になりました。
この頃が、一番楽しかったなぁ〜。
私も若かったしねぇ。今じゃ、孫にもヨシ爺と呼ばれていますけど。
も一回、あの頃に戻りたいです。
◇ 好きだった伊南川
ビデオロケのゲン太君。
■1992年6月
私の得意とするフィッシングワークに、本流山女魚釣りがありました。

ゲン太君の得意技は、女性のお客さんが来ると真っ先にお出迎え。いや、真っ先にスカートの中に頭を突っ込んで挨拶します。これには私も参りましたです。お客さんイワク、犬は飼い主に似るんですよ!だと、。。まさにその通りでした!
■話はチト逸れてしまいましたが。
この年から、本流山女魚のビデオロケが始まりました。
ロケ地は、福島県伊南川
川ナデシコが河原一面に咲き乱れて、大きな山女魚が面白いように飛び出してきた。
◇2002年1月。
動きが悪くなったゲン太を連れて病院通い。
■1995年頃。
この頃から、私は店を離れ始め一緒にいる時間が少なくなってきました。自由奔放にしていたのが、店内ではリードに張り付けにされることも多くなった。
■日中は別々に暮らしてたけど、休日には変わりなく釣りに出掛けてましたよ。ゲン太君の性格は、おとなしく従順で頭が良かった。私の言うことは何でも分かっていました。でも、子供はあまり好きではなかった。一年目だったか、寝ていたゲン太を枕にしたら驚いたのか私の鼻に歯を立てたことがある。頭にきて、リンチを加えた。私が悪かったのに。それ以来は、凄くよい子に。
それから、一度だけ他人に噛み付いたことがある。
お店のゲン太君。
ゲン太君最後の夏。
■2001年夏。
ゲン太君は、10年目あたりから太りだして動きも悪くなっていた。獣医に通ったりもしていましたが、年齢的な事もあるということでした。2001年夏。車にも飛び乗れなくなってきたゲン太を連れて、想いでの伊南川に釣りに出掛けた。

■少しの間だけ飛び回っていたが、疲れたのか私の傍で休んでいるようになった。私も、これが最後の釣行になるかも知れないと感じてました。歳を取ったせいか、毛並みも悪くなってきました。私の頭部も薄くなりましたけどね。
私にとってゲン太君は、誰よりも大事な息子だった。犬の寿命は十数年と分かってはいたけど、このとき既に11年目だった。

「ゲン太と最後の夜」

2001年秋のゲン太君。 「2001年秋。病院帰りのゲン太君」
■この頃から、ゲン太の容態が日増しに悪くなってきた。
毛並みも荒れて、老犬そのもの。もう少し頑張ってくれと、心の中では祈りの毎日でした。こんなときに限って、私の方にもいろいろと問題が生じて、思うように面倒を見てやれなかったのが悔いに残ります。

■2004年春。ゲン太が天国に行って、早2年が過ぎた今。
ゲン太と同じ顔をしたイングリッシュセッター仔犬がいないかと、探しています。もう一度想いでの中に戻ってみたい。
未だ忘れられない!2009:1016