阿武隈川紀行 海.山.川の物語 完結編放送。 11月16日 1時間30分特番 |
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◆宮城県丸森町は、河口から遡ってくるサケ漁も盛んだった。当時は、数十人いた川漁師も、現在では2人の川漁師がいるだけで、それも本業ではないと言う。 そんな中で、今尚もっとも川を愛し続けている方がいると噂を聞いて、賢さんが是非にでも訪ねたいとの熱意が通じました。 20歳の頃から、阿武隈川で漁をしてきた水沼シゲオさん71歳。建設業や農業を続けるかたわら川漁を続けてきたという。夏は、ウナギ。夏の落ちアユ。秋にはモクズガニ漁が始まります。 ◆川が好き!川漁師になりたいと、絶叫した賢さん。 お目当ては、味噌汁やカニのタタキならぬ焼きカニ味噌だった。さて、どうなりますかね! カニ胴仕掛けの獲物はどうしたぁ〜! ◆この時期、産卵のために川を下るモクズガニ。カニ胴と呼ばれる仕掛けを夕方沈めて翌朝引き上げる。阿武隈川の冷水に越まで浸かりながら、二人掛りでカニ網を仕掛けたのだ。川岸に仕掛けるのかと思ったら、何と流れの速い中央部に近いポイントにセットした。 中本さんも、流されないように必死に足を踏ん張り続ける。そんな流れに対して、水沼さんは平気な顔で杭を差し込んでいる。とても71歳とは思え無い技である。 翌朝、待ちにまったカニ網の引き上げだ。 晩秋の朝日を浴びた阿武隈川の水面には、真っ青な青空が映っていた。早速、仕掛けを引き上げに川に立ち込んだ。果してカニは入っていたのかぁ〜! ご安心下さい。ナント、10cm以上のモクズガニがゴソゴソと、うごめいていたのだ!多摩川で目にするモクズガニよりもかなりデカイとか。 収獲を手に、意気揚揚と水沼さん宅に向った二人。地元風味のカニ味を食べてくださいと、奥さんが焼きカニ味噌を作ってくれた。賢さん曰く。凄く旨かったとか!残念ながら、私は其処に居ませんでした。 ◆この旅は、此処で終る訳ではない。 我々ガサガサ隊の目的地は、太平洋なのである。この位置から更に下り続けて数十kmのカヌーの旅が待っていた。折りしも、初冠雪の厳しい寒空が水面を激しく波立てていた。 ◆河口部になる亘理町では、サケ漁を見学したりハゼ釣りをして楽しみましたよ!そして阿武隈川の恵みは、海苔の養殖棚に最適の環境をプレゼントしていました。栄養塩とは、広葉樹の森が作り出すミネラル分です。漁師さんの森への思いが伝わってきました。 詳しくは「No5 阿武隈川と太平洋」を見てくだっしょ! |
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その旅は、既に5月から始まっていたのだ。そして、ブナの森に蓄積された厚い腐葉土層に目を奪われた。全ての命の根源は、此処から生れる事を改めて再認識した3人組でした。 独り言! あんまり人に言えないけども、二人は若いが私は50代の半ばになり、頭髪は毛が三本。今や愛称もヨシ爺だよ!家に帰りゃ、小学生の孫もいるでよ! 若い気取りで、いつまでもやってらんねェなァ〜と思いつつ、気が?弱いので再び山に入ってしまう今日この頃。 阿武隈川の源流探検は過酷だァ〜! ◆阿武隈川の源流は、那須連峰の三本槍岳(1914m)山麓に位置する。 地元山岳会の話では、なんでも笹の葉の根本から湧き出していると言う。その地点は、標高1.400mの地点だそうだ。それを聞いたガサガサ探検隊三人組は、気楽な気持でトレッキングを開始した。 のだが...。取材日は台風並みの強風が吹き荒れた。尾根づたいのルートでは、我らのアイドルわか菜ちゃんが吹き飛ばされそうになり、腰ベルトを鷲掴み状態で確保。それは私ですけど。その次に待っていたものは、其処はトンでもない地獄の笹谷だったのだ。登山コースを外れたあたりから、熊笹の急斜面が延々と続いたのだ。 阿武隈川を支える支流域 ◆東北でも汚濁度が高いと言われる阿武隈川だけど、それを支えているのは幾筋もある支流域なのです。その流域は奥羽山脈の広葉樹が多い森林帯です。工業地帯の郡山市。此処を通過する水色は鉛色だが、逢瀬川という清流が流れ込んでいる。 もっとも、清流域と呼べるのは、ほんの上流部だけだけどカジカも生息している。ガサガサ探検では、希少種のギバチも確認された。 因みに、逮捕したのは絶叫オトコ池田君でした。 昔を偲ぶ船渡し物語。 ◆阿武隈川には、数多くの渡し舟がありました。 荷物を運ぶ大きな渡しから、通学や行商人を乗せる小さな渡し船まであったと聞き及びます。しかし、昭和35年頃からの高度成長の中で、次々と新しい橋が完成してはその姿を消して行きました。そんな中で、福島市の三本木の渡しだけは昭和53年8月まで渡し続けていたのです。 ◆私たちが訪れた時には、既に渡し守だった柴木武資さんは6年前に亡くなられていましたが、貴重なドキュメントフィルムがあったのです。私達は、当時のお話をどうしても聞きたくて、そのフィルムを持って柴木さんのお宅に伺いました。奥さん初め家族皆で、懐かしく映画を拝見いたしました。渡し守は、ただ人を運ぶだけではない。「その人の想いや心も一緒に運んでいた」と言っていたそうです。 このHPは、ヨシ爺のOriginal .Magazine です。 |