ワタリヤ釣具店の半沢さん 天神の渡し当時を回想。 隈畔から哀愁を語り合う。 凸凹三人組でしたぁ〜! このHPは、ヨシ爺のOriginal .Magazine です。 |
「阿武隈川紀行。第三回 水運の歴史」 福島市.船運と三本木の船渡し。 ◆第一回目の放送では、阿武隈川の源流となる那須連峰「笹の葉の一滴」から旅をして、二回目の放送エリアとなった郡山市。汚い川のイメージがあった逢瀬川では、何と清流の証であるカジカを発見。家庭排水のあり方について考えさせられました。 ◆そして今回は、福島市の阿武隈川で、最後の船渡しとなった三本木の渡し場を訪れて、当時の様子を振り返ってみました。 ◆旅人は、ヨシ爺と池田君(KFBアナ)。そして頑張り娘のわか菜ちゃん(KFBアナ)の三人組。天神の渡しがあった天神橋を渡ると、小高い山の上に弁天山展望台がある。そこからの眺めは、吾妻連峰からの麓に広がる信夫の里(福島市)が一望に見える。と言いたいのだが、生憎の霧が立ち込めて全く見えないではないか! ◆眼下には、阿武隈川の流れに清流で名高い荒川が流れ込んでいる。県庁裏となるこの辺りは、明治の遠い時代から隈畔と呼ばれる福島市民憩いの場。因みに、クマハンではありませんよ!隈畔と書いてワイハンと呼びます。詰まり、川辺の界隈という意味なんです。それだけ、親しみがある場所だったんでしょうね。 ◆福島の阿武隈川は、船運が栄えていた時期もありました。道路が完備していない江戸時代。年貢米を江戸に運ぶには、馬の背と荷車しか有りませんでした。そこで目を付けたのが、阿武隈川の豊富な水量でした。福島から、40表前後の小鵜飼舟で宮城県境までの浅瀬を乗りこなし、丸森辺りで中型船(80表前後)に荷を積替えて、宮城県の亘理から仙台松島湾に集結。 ◆そこで再び、元船に荷を移してから太平洋を南下。銚子から利根川を遡り江戸川を下って江戸に御用米を運んだのです。その苦労は、途方も無いほど過酷だったそうです。何しろ、川を下った小鵜飼船を、人力や馬を使ってロープを引き川を遡ったそうです。この船運を利用したのが、板倉藩を初め米沢藩。会津藩でした。何万両も注ぎ込んで開通したこの船運は、東北本線の開通(明治20年)まで活躍しました。 ◆そんな隈畔のほとりを、昔を偲びながら3人でブラリ旅。「つばくらめ ちちと飛かひ阿武隈の岸の桃の花 今さかりなり」若山牧水や竹下夢路。森鴎外などの文化人が、構想を練ったとも言われています。 ☆隈畔物語DVD「三本木の渡し」 ◆既に6年前に亡くなっていましたが、取材中に船渡しのドキュメントフィルムを発見。今回は柴木さんのお宅に伺い、当時を偲びながら奥さんと娘さん達を交えて一緒に拝見しました。雨の日も風の日も、一本のワイヤーに命を託して人々の往来と共に、様々な人生も運んだと言う。だが、直ぐ隣りに架けられた三本木橋が完成した記念行事には、人情の儚さか公僕の仕来りかは定かでないが、とうとう招待されなかったそうだ。 「阿武隈川の灯篭流し」 ◆そんな訳で、今回は柄にも無くノスタルジックな想いに耽る阿武隈哀愁の旅となりました。昔を思うと苦しい筈なのに、どうして懐かしく振り返ってしまうのでしょうかねェ〜。この模様は、8月30日(金曜日)KFB福島放送。スーパーJチャンネル午後6時17分から放送されました。
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