阿武隈川紀行 スーパーJチャンネル P-U 冬枯れの 安積野を行く。 |
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◆安積野とは、北は二本松市から南は須賀川市の境まで、広大な面積を有する大平野だ。その中央に位置するのが郡山市である。その殆どが阿武隈川より西部にあり、奥羽山脈の麓までとなる。 峠の高台から眺望すると、下界の田んぼの中に小さな森が各所に点在していた。どうして田んぼの中に森があるのですか?わか菜ちゃんが、私に尋ねた。あれは、エグ根という森なんだと答えると、不思議そうに是非見たいと言う。わか菜ちゃんの願いなら、地獄だって見せてやるゼィ〜! ◆12月も中旬となると、早朝にはマイナス5度近くまで低下する。そしてこの地は、空っ風で有名な吹きっ晒しの強風地帯でもあった。折りしもこの日は15m以上の強風警報が出されていたのだ。(別に強風の日を選んで取材したのではありませんよ) 強風が吹き抜ける農家に近づくと、大きな杉の森の中にはケヤキや竹薮も混生している。これが、エグ根なんだ。詰まり、強風から家屋を守るためにある防風林なのである。その森の中に、赤い布が巻かれた如何にも古そうな石碑が見えた。 あれは!何ですか。又もや質問の荒らし!エグ根には、代代からの祭り事や祈りが込められているものである。もはや、私の手には負えなくなったので、お家の方のお話を伺いに参上した。(全くのアポ無し取材のため、人相の悪い三人組(寒さと強風でひどい顔)と、TVクルーが行き成りお邪魔した!突然の顔出しに、家の方が慌てたのは言うまでも無い。 ようやく私達の趣旨が分かってくれて、主人がエグ根に纏わる呪い!ジャ無かった!昔話を聞かせてくれました。この小さな森は、風除けのためだけでは無く、春の筍や椎茸も獲れると言う。そして、ほまち風も吹き抜けると話してくれたのだが。スタッフ全員が、???ほまち風!ってナンデスか? ◆是は郡山の方言で、「小さな幸せ」とでも言いますか、夏場の西日を遮り夜には爽やかな風が吹き抜ける。と言う意味なのです。詰まりは、森の土息が自然のクーラーの役割をしている訳です。そして、一番気掛りだった赤い布が巻かれた石碑は何なのか! この石碑は、平安時代の物で静御前と義経の悲恋物語の標だそうだ。話をすると、止め処なく平安の時代を遡りますので後のお話とさせて頂きますが、何故かシャッターは切れませんでした! 安積疎水サイホン式水路。 ◆三穂田町山口地内に、おもしろい水路があると聞いて又しても訪ね歩きました。 丘陵地を歩いて行くと、異様な水路が高所に架かっている。なんじゃ!コレハ!田んぼよりも高い所にその水路は延々と700mも出現した。この周辺は、戦後の食料増産のため大規模に開拓された場所だ。農家の方に聞き及ぶと、これはサイホン式水路だと言う。安積疎水を高台まで引く為に、山間の高所から地下水路に水を落として、その高低差を利用して離れた水路上に噴き出すのだそうだ。(施工時期は昭和35年頃) |
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◆近くの河沿いで、笹竹(篠竹)を刈り集めて束にする。もちろん、各自が苦労して捩った荒縄を使用しましたよ。 仕掛ける場所は、郡山市の南部を流れる笹原川。奥羽山脈からの流程は、約20kmで阿武隈川に流れ込む。冬越しする小魚は、支流域などの合流地点に集まる習性がある。 狙う獲物は、クチボソ。モロコ。砂ドジョウ。オイカワ。小鮒などだが、心の中で期待する魚族は、猪苗代湖に生息するヨシノボリだった。安積疎水に乗って、安積平野に来ているに違いない。 思い思いの本支流域ポイントに、6つの仕掛けを沈めた。シマドジョウの仕掛けは、コブシ大の石を並べた石室仕掛けと相成った。 柴漁開始。 ◆一週間後、心ウキウキ水揚げに挑んだ。最初の笹上げは、わか菜ちゃんの柴浸け。笹束を静かに上げながら、タモですくう原始的な漁だが、何と!ナント!小魚がゴソゴソ入っているではないか。セピア色の河川には、御存知池田アナの絶叫?と、わか菜ちゃんの黄色い歓声が木霊した。次の仕掛けは、絶叫オトコ?池田アナ手作り冬越しの宿。しかし、期待ハズレのたったの二匹。落胆しながらも、次の笹束をすくい上げる。 ◆一番大漁だったのは、わか菜ちゃんのお宿だった。ウグイ。オイカワ。クチボソ。フナ。そして、トンでもない希少種が入っていた。 其れは、絶滅危惧種レッドデータブックに記載されているギバチだった。もう一種、心待ちのヨシノボリも確認されました。この日の天候は、強風が吹きさらす最悪のコンディションだったが、水の中は関係が無かったです! 当時から比べると、確かに汚れてきている河川だが、40年?前と同じく、小魚達が見事に生息していました。 |
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土手焼き。 ◆小魚達の冬越しの模様を確認した後、昔の野遊びだった土手焼きを楽しむ事になりました。別に野原に火を付けようてんじゃないですよ。 川沿いの土手で、火を起こして餅や干しイモを焼いて喰うんです。私らの子供の頃は、ゲームセンターも無ければ映画館も遠くて行けません。遊びは自分たちで見つけたもんでございます。正月の残った固い餅や、廊下に干してあるサツマイモを家から持ち合いながら、土手で焼いて食べたんですよ。是が又旨かったですねェ〜! ◆昔は(昭和35年頃)、土手に小さな穴を開けて枯草で炊き付けしたけれど、今やったら怒られるので昔風空き缶を使いました。 昔も、一斗カンに炊き口を作り逆さにして釜戸を作ったんですよ。火種は昔と同じく萱束(土手にある枯草や萱をむしり束ねる)を作りました。この萱束は、火持ちが良く火力が強いので直ぐにモチが焼けてきます。当時一番のお気に入りはココアだったのです。アルミのヤカンにお湯を沸かしてココアをブチ込む。是が最高のシアワセでした。 ◆以前は、柴浸けで獲ったザリガニや小魚も一緒に焼いて喰ったモンです。当時は喰いモンがなかったからね。今の時代、小魚の顔を見てはトテモやれませんので、モチとサツマイモを懐かしく食べました。目に染みる萱の煙と、この味だけは変わりませんでしたねェ〜。 気温2度。暴風雨の寒空の中で、池田君もわか菜ちゃんも美味しそうに食べていました。余りにも旨いんで、スタッフ皆で食べ...ようとしたが、撮影中に焦がしてしまって一人一個だけ!の配分でした! 寒空に、熱缶囲んで何想う。昔の野遊びを思い出すと、童心に返るのか何故か無心になれるんですよね。今回は二日間のロケだったけど、又しても最悪の天気。 しかし、意外と結果はいつも上々なんですよね。何よりも、ロケスタッフ全員の息がピッタリだかんない! ◆ガサガサ探検隊と言えば、KFB福島放送と確実に定着してきました。是も皆さんの支持があったからだと思います。一年間有難う御座いました。 2002年12月まで、阿武隈紀行の番組が続いた。私も年寄りだし、来年はドォ〜ナッカ分がんネェ〜げども、おもしそうな企画だったら又TV局のバイトに行ぐがもしんにがら宜しくない! ん! どごの言葉だって、ヨシ爺の妖怪言語だっちゅうの! |
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☆ こんな格好で取材してます! KFBガサガサ隊ロケスタッフは、いつも格好イィ〜!ブーツスタイルだゼィ〜!きれいな清流の足元なら未だしも、今回の支流域は雑排水でヌラヌラだぁ〜。此処でコケたら、ボディー洗い?ならぬ泡踊り状態になってしまう。 そんな殺伐とした心を癒してくれるのが、ハリキリ娘のわか菜ちゃんなのだ。山に踏み込みゃ〜、猿のように崖をよじ登り。川にハマれば、獲物探してガサガサ娘。此処までなら行く末も心配するが、ところでドッコイ女の嵯峨は潤っていた。その証拠を見たいなら、ふくしまスーパーJチャンネルを御覧あれ! 何?県外じゃ見れねいって!そんじゃ仕方あんめい。 ふくしま来る時あったら、忘れずに見てくだっしょ! 一言忘れたけど、メインキャスターは池田速人君だからナイ! これ言わねいどォ〜。怒られんだわい!長い間ありがどございましたぁ〜! |
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